お掃除ロボット始めました
今相棒はホームに戻る道筋を探してうろついている。充電が切れる前に、無事戻れるのだろうか?あちこち壁にぶつかりなら迷走している。
無事ご帰還👌
任せるのではなく、朝から付いて回って邪魔なものを退かせたり、歩いて欲しいところを導くようにわざわざ邪魔なものを配置したり、時には電源を切って抱きかかえて思うところにおろしてあげたりだの、世話を焼いているのだから、むしろロボットに使われているのかもしれない。
それは違うな、目的は私の家の掃除で、それ以外は自ら行えないのだから、やはり私がロボットの使い手でご主人様なのだ。
お掃除ロボットの、どんなところに最も感動したかといえば、壁の床の間の隙間のホコリをかきとるところだ。
目に見えるゴミを吸い取ったところで、大したことはない。
掃除が果てし無くやりがいのないものに感じる大きな理由は、よほどの労力をかけないとスッキリ仕上がらないためだ。
労力をかければスッキリするのだ。
けれども、他にやりたいことやらねばならぬことは待ち構えているし、壁と床の間のホコリをかきとるなんて作業は飽きるし、延々と床に這いつくばるから疲れるのだ。
その割に、翌日にはもう猫の毛だの人間の毛だの洋服の繊維だのお菓子のカケラだのが灰色のゴミの塊になって、壁の床の間や椅子の脚と床の間や、冷蔵庫と床の間に集まっているのだから、やりきれない気持ちになる。
お掃除ロボットが、硬い触覚のようなブラシをグルグル回転させながらそれらを丁寧にかきとっていくのを眺めていて、このロボットには私の気持ちがわかるのだと思った。
そのようにプログラムしてあるなんて、野暮なことを言ってはいけない。
アマゾンのレビューに、私と同じ感想は一つもなかったから、お掃除ロボットになにを求めなにに満たされているのかは人それぞれなのだ。
たぶん私は彼の挙動を大雑把にでも把握するまでは、付いて回ってあれこれ世話を焼くだろう。
私の痒いところに手を届かせるために。
近い将来AIに仕事を奪われるという話をよく耳にする。
お掃除ロボットが欲しいと夫に言っとき、フルタイムで働いているわけでもないのに必要ないだろうとの意見だった。
でもねえ、私も歳をとってちょっとは楽がしたいのよ、と心の中で呟いた。
お掃除ロボットに私の仕事の肩代わりをして欲しかった。
その目算はある意味外れた。
お掃除がらくになったのではなく、お掃除がパワーアップしたのだ。
体力とやる気、私の足りないところをロボットが補う。
奪われてはいない、すべて私の意思の的。
隅っこにホコリがないのは、真ん中にゴミが落ちていないより遥かに清潔で清々しい。